なざーの落書き

戦車のことについて書いたり書かなかったりする

3MINSの歩んできた1年

はじめに

3MINSがDOLAとして結成したのは2018年6月13日のことである。それから一応一度も崩れ去ることなくクラン活動を続けて来て1年余りになる。ただし、崩れることなくとは言ったが、人の入れ替わりは激しく、創設付近からいるメンバーは既に自分だけになってしまっている。

そんな自分がこれまで深く関わってきて、そしてこれからもWoTというゲームの続く限り骨を埋めるつもりのクラン3MINSが歩んできた1年を振り返って感傷に浸ってみる。

自分の記憶に頼っているので相当不確かな所もあると思うが勘弁して欲しい。

創設期(2018/6~2018/11頃)

もともとこのクラン3MINSは、DOLAという名前で設立したのは皆さんご存じの通りだと思う。最初このクランは昔集団戦をやっていたTK-JZというクランの集団戦メンバーが、再結集してできたクランである。自分はその時WoTをしばらく離れていたのだが、DOLAに入ったフレンドの誘いで入隊した。

結成当初はクラメンのモチベーションも高く、進撃戦もほとんど毎日回っている活発なクランだった。元々TK-JZの土台があることもあり極端に負けに苦しむこともなく、雰囲気もよく活動できこの頃のDOLAはとても良いクランだったと思う。また、新規のクランメンバーの加入も絶えることはなく、この頃に現在残っているDOLA組の多くが加入してくれた。

しかし、結成から3ヶ月ほど経った9月頃になると、徐々にクラメンのモチベーションも低下していき、元々進撃戦1部隊建つのがやっと(※当時の進撃は10人)程度だったアクティブも更に減っていき、ほとんど活動停止状態に陥った。そんな中自分はなんとか活動を続けていこうと6SHなどを建てようとしていたりしたのだが、後にそのことが仇となって(?)副司令に任命されてしまうことになる。

とはいえ、そんな当時権限もへったくれもなかった自分1人の努力でどうにかなるわけもなく、その後しばらくは進撃戦も月に一回建つか建たないかといった状態が続いた。

「戦場の虎」準備期間(2018/11~2019/1頃)

大分冷え込むようになってきた11月頃、毎年恒例の冬のCWの話がちらほら飛び交うようになる。DOLA内でも次期CWEについての議論がされるようになり、流石に進撃も回っていないのはマズいだろうということで、再びにわかにクラン活動が活発化していく。

このあたりから自分も進撃の指揮をするようになり、進撃をやりつつクラメンの募集・勧誘を積極的に進めた。しかし、アクティブ不足や覆しがたいレベルの低さは当初は単独参戦が危ぶまれ、単独での参戦を強硬に主張した当時のクラマス陣を横目に、自分など一部の運営陣は秘密裏に他クランと合流交渉を行った。

ただ、土壇場のCWE直前になってなんとかクラメン60人程度及び指揮官・強力なプレイヤーを揃えることが出来、DOLA単独で参戦しても大丈夫なのではないかというレベルにはすることができた。

CWE「戦場の虎」と敗戦処理(2019/1/23~2019/3上旬頃)

この戦場の虎については以前の記事で纏めているので、当時の記事には書いていない敗戦処理の様子を交えて簡略に行こうと思う。

しかし、DOLAには一つ根本的な問題があった。

そう、(自分を含む)運営陣にCWの経験が圧倒的に不足していたのである!!!!

そりゃあ勝てるはずもなければ、まともな運営管理ができるはずもない。後半CIVで指揮経験のある指揮官に指揮して貰ったりしてなんとか持ち直してはきたものの、前半の失敗や運営能力の欠如は如何様にも覆しがたく、アクティブの4分の1が逃亡し、車両獲得者は堂々の0名を記録し、CWEが原因で鬱病患者を出すなど目を覆いたくなるほどの悲惨な結果になってしまった。(個人的にはさすがに上位2~3人は取れるんじゃないかとは思っていた)

今文句を言っても仕方がないのだが、予定表も出しても書いてくれない、ピック基準もあやふや、戦闘管理も自分に全投げといった状態でよく車両が取れると思ったものである。3MINSとして優秀な管理を目の当たりにした今だから言えることである。

CWE終了後自分は1ヶ月ほどRGZに逃亡していたのだが、旧運営陣はクラン名をDOLA→I-V-Fに変更し、責任を取るという形で隠居した。しかし、自分が帰ってくるまでの間のI-V-Fは進撃もほとんど回らないかなり悲惨な状態だったらしい。

3MINSとして再出発(2019/3/10~20/19/6頃)

この悲惨な状態のI-V-Fを見て、自分は(あれ?今ならこのクラン乗っ取れるんじゃね?)という邪な考えに至り、I-V-Fに舞い戻ってきた。旧運営陣の公認も得て公式に運営を委譲され、3月10日に行われたクラン会議を契機にクラン名を不満の多かったI-V-Fから3MINSに変更し、クランとして再出発した。

クラン会議に出席したのが15人というのが当時のI-V-Fを物語っていた気がするが、なんとか進撃は回るようになり、チムトレでクランイベントもどきをやってみたりとクランとしてやっていくことができるようになった。

そして契機は訪れる。

BLIGE、NOAHで副司令として敏腕を振るってきた某氏が入隊してくれたのである。彼の助言は大いに参考になり、クラン運営の方針を決めるにあたってとても助けになった。

彼の入隊直後に始まった通常CWではtier8で参戦した。この通常CWでも相変わらずアクティブ不足には悩まされたが、以前に比べてレベルの向上を実感することができ、今後にも期待が持てた。また、この期間を通して3MINSの知名度も向上していき、以前よりもいろいろな方が進撃に来てくれたりするようになった。

CWE「灼熱の大地」(2019/6~2019/7中旬頃)

そして再び訪れたCWEの季節。前回の反省を踏まえ流石に単独は無理だろうということで様々なクランに合流を持ちかけた。しかし当初はやはり前回の記憶があるのか、どこのクランにも微妙な反応をされた。自分としても正直単独では車両獲得は難しいのではないかと悲観的に考え、最悪どこか大手に吸収して貰おうと考えていた。

しかしそこに救世主(?)が現れる。11Bさんがなんと合流を持ちかけてくれたのだ。11Bとの合流やなんかつよそう(小学生並みの感想)なプレイヤーや指揮官が次々と加入してくれたおかげで、なんとその前には予想だにできなかった90人規模のクランが誕生した。更には某副司令が自分の右腕と称する旧NOAH運営陣を引き連れて来て、ここに最強のフォーメーションが完成した。

CWE中の流れについては前の記事で纏めたので割愛する。

しかし、表向きは42人の車両獲得に成功したものの、3MINS部隊としての獲得数は18人、さらにそのうち7~8人は傭兵組というその辺の中小クラン(言い方は物凄く悪いが)とさほど変わらない成績だったことは厳然たる事実であり、61%の車両獲得率も3MINS側に絞れば4割を切るといった状態で、いくら取り繕ってもやはり中小の壁は突破できていなかったというのが今振り返ってみての感想である。

後から再計算したところ3MINS部隊の車両獲得者は22人、獲得率は51%でした。今まで半月以上誤情報をそのままにしてしまい、大変申し訳ありませんでした。(19/8/14)

そして現在へ(2018/7/21~)

以上の反省点を踏まえて発足したのが現体制である。現体制では指揮官の強化を目指し様々な施策を行っており、目標は次回のCWEで「クラン合流がなかったとしても」戦果を出すことである。まだ発足したばかりなのでこれからどう転ぶかは未知数だが、自分なりに期待を持ってクラン運営を行っている。